人生を変えた世界的なメンターとの出逢い

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ここ数年で実現した事を色々と思い返したのですが、本当に昔の自分には想像もできなかった事をやっているなぁと思いました。夢は叶えるものではなくて、「夢は生きるもの」だと思っています。Live My Dreamです。

今生きている瞬間って、数年前の「夢」なんですよね。

今思っている「将来こうしたい」も、「数年後の今」なんです。

そういう生き方ができるようになったきっかけをよく聞かれるので、今日はそのお話をしてみようと思います。

不満もないけれど満たされない平凡な日々

私は大学卒業後は、アメリカ系のメーカーの日本支社に就職して会社員をしていました。21万円くらいの初任給でボーナスが夏と冬に2ヶ月分ずつくらいでる会社です。残業代も出ていて、年収で言うと、多分400万円くらい。退職する頃には、額面で500万円くらいだったかな。27歳の時に結婚して、当時は2つ上の男性と社内結婚していたので、独身で1,000万円くらいの世帯でした。

神奈川県で、家賃8万円くらいの新築のお部屋に住んでいて、年に1回は海外旅行に行って、夏と冬には九州のそれぞれの実家に帰って、記念日にはミシュランの星付きレストランに行って・・・と。不満もなければ、問題もなく、すご〜く平和な家庭でした。そんな生活が続いていたら、今頃どうなっていたのかなとも思うのだけれど、多分、ずっと二人で会社に勤めていたんでしょうね。多分。

でも結婚して3年くらいした時に、その当時の旦那さんと「これから子ども、家を建てて・・・」とか、平たくいうと将来の話をしました。自分の中で、子どもを産むと言うことに異論もなかったのですが、上司の顔が浮かんだり、私の親の顔が浮かんだり、旦那さんのおばあちゃんの顔が浮かんだりと、私の中にたくさんの顔と声が浮かんできました。

30歳前後って、ちょうど仕事ができるようになって、社内でも少し顔が利いたり、楽しくなる時期でもあると思います。私は当時の上司や周囲の人から、「次のグループ長(課長)は北原だから」とか、そう言う声がまんざらでもなく、ちょっと嬉しかった自分がいました。女性の管理職を増やそうと言う活動にも参加していたし、何となく、「昇進」と言う言葉がいつか自分のところに来るのではと思っていたんです。

女性のキャリア開花の時期とライフイベントの重なり

そんな時期に、「子ども」

誰に聞いても、自分で考えたって出産の適齢期というものがある。もちろん高齢出産した人もいるけれど、普通に考えれば早いに越したことはないと思っていました。その頃、うちうちには転職の誘いや、アメリカの本社から転勤と昇進のお誘いもあり、キャリアの開花時期と結婚・出産と、全てが一緒にやってきて、どうして私の体は一つなんだろう、どうして女性だけがこんなに多くのことを抱えなければならないんだろうと思っていました。

そういうメンタルだったからかもしれません。一向に子どもができる気配もなく、不妊治療で通った病院でも薬やホルモン剤を投与されましたが改善されず。変えた先の漢方を処方する婦人科でも、毎回バックに入りきれないほどの薬をもらい、その「薬」を見るたびに、女性としての機能が欠けているような劣等感を感じていました。終いには、荒れたことのないほど肌が荒れ始め、やり場のない気持ちは、仕事に矛先を変えて、仕事をやめればきっとうまく行くと思い、退職までしました。

人生で初めて経験した「専業主婦」というもの。失業保険は受け取ったがいいよと言われて向かったハローワークでは、「仕事のない人」という接し方を受け、どんどん「無価値」になっていく自分に、3ヶ月した頃には、もう耐えられなくなっていきました。あとになってわかったのですが、私にとって仕事をすること、人の役に立って報酬をもらうことは、とても重要なことだったのです。専業主婦であることや、求職していることが悪いのではなく、ただ「私」にとっては耐えられないことだったんですね。そんな私を「私」が好きではなかったんです。

人生を変えたドクター・ディマティーニの本

前置きは長くなりましたが、そんな時に出会った本が「ザ・ミッション」という本

ドクター・ジョン・F・ディマティーニ (著), 成瀬 まゆみ (翻訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は無価値な人間だ」と思い込んで、でもどうにかしたくなっていた私が手に取った本。

仕事を辞める前に通っていたヨガのティーチングコース(ヨガ・瞑想指導者養成のコース)の先生から、ドクター・ディマティーニという名前はよく聞いていました。また、そのヨガ指導者養成の先生から知った都内で開催されていたセミナーでも、その講師はこのドクター・ディマティーニという人から学んだことを私たちに教えてくれていました。そのセミナーには定期的に通っており、実は退職後にフリーランスとして初めて仕事をいただいたのは、このセミナーを主催している人からでした。とにかく私が学びにいくところでよく出てくるこの名前の人は、一体何者なんだろうと思っていました。

とにかくすごい人らしい。

この人は、私の興味があることを全て知っている人らしい。

会ってみたい!

ドクター・ジョン・ディマティーニ!

というところが、私のジョンとの出会いの序章です。

ジョンと馴れ馴れしく呼んではいけないかもしれません。

その時の私が想像なんてしていたでしょうか。

この人が将来の私のメンターになる人であり

オンラインセミナーはライブで12,000人が視聴し

数千億円の個人資産を持つビリオネアであり

60カ国以上で出版している著者で

1年間に350日は講演して世界中を飛び回っている人。

とにかく、その時は、こんなことも知りませんでした。

ドクター・ジョン・ディマティーニの本を読んだのは2017年春。

今その2017年春から、ちょうど3年近くが経とうとしています。

その時の私は、そこからの3年がこんなことになるなんて思ってもいませんでした。

ドクター・ディマティーニは、

「私は17歳の時にポール・ブラッグに出逢って、彼のたった一言で人生が変わりました。」

と言っています。学習障害で本を読むことすらできなかったドクター・ディマティーニの人生が変わった瞬間です。

ドクター・ディマティーニがポール・ブラッグに出逢って変わったように、私はドクター・ディマティーニとの出逢いによって人生が変わりました。

2年半後の2019年秋にアシスタントになっているなんて

当時の私には「夢」どころか想像もできていませんでした。

これがどのようにして「夢」になり実現したのか、ちょっと綴ってみようと思います。

 

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